2007年04月18日

2つの事件に思うこと

今夜は、ひさしぶりに硬派なお話をしたいと思います。


きょう、番組でしようかどうしようか、さんざん迷ったのですが、
短い番組では、言葉足らずに終わってしまうかもしれないし、
午後のひとときというシチュエーションでは難しいと考えてやめました。
そのかわりに、いやな空気をふきとばすような「クスっと笑える話題」のテーマだったわけ。


でも、やはりこの話題は、避けられない、というか避けたくない気がしています。
公式番組ブログではとりあげることはないので、このパーソナルブログで触れておくことにしますね。


さて、みなさんもご存知のように、アメリカ・バージニア工科大学構内での
在学生による無差別銃乱射のニュースが世界中をかけめぐったのは、つい数日前。


ようやく事件の概要、何が起こったのか、ということがわかってきて、
いよいよこれから真相究明、というところへ、
昨夜飛び込んできた、一市民による長崎市長の射殺事件。
暴力団関係者であったことで、銃を入手しやすい環境にあったとか、
交通問題で市側とトラブルがあって市にうらみをもっていたらしい、
などが言われていますが、
だからと言って人ひとりを殺していい理由には、まったくなりません。


銃の規制については、アメリカでも何度となく取り上げられ、
多くの人がさまざまな意見を交わしています。
大統領選が近づくと、選挙の道具のひとつとして取り上げられる側面もありますが、
少なくともみんなが関心をもっている話題ではあります。
この事件が起こって速報が入ったとき、ちょうど
北米出身の人が近くにいて、話を聞いてみる機会がありました。
知ってのとおり、あちらでは許可があれば銃は合法的に所持できます。


端的に言えば、「概論賛成、極論反対」という人が多いのだそうです。
つまり、「銃社会は反対である」「いつなんどき、あるいは白昼堂々と、
自分や自分の家族が襲われるかもしれない、銃さえなければそんなことはない」
「銃さえなければ、悲しい事件はもっと減る」
とは、多くの人が思っています。


でも、現実問題として、いつなんどき、自分や自分の家族が襲われるかもしれない、
誰も守ってくれないなら、自分で自分の身を守らなければ。
そんな心理が働くわけですね。。。


日本は治安がいい国、夜、おんなの人や子どもが一人で歩いていても安全な国。
そんな神話はもはやとうの昔に崩れ去ったのは言うまでもありませんが、
それでもまだ、銃を持たない国として、少なからず尊厳は保っていたように思います。
でも、もはやそれも伝説の一部になりつつあるのかもしれません。
それが悲しいですね。。。


このような事件がおきると、警備のまずさとか対応の遅れとかが取り沙汰されますが、
おこってから言っても遅い。


恐いのは、他山の石になってしまうこと。
海の向こうは大変、市長さんは気の毒にかわいそうに。
でもまさか日本で、自分のまわりではおこらないだろう、
自分だけは大丈夫、ってな具合にね。


何があろうと、どんな理由であろうと、暴力にうったえるのは卑劣。
それが、今回のような銃であっても、ナイフであっても、殴打であっても、
あるいは、言葉の暴力でも同じ。


自分のことだけしか見えないで、まわりの状況が見えない、
人の気持ちを推し量ることができない、その結果、自分に都合のいいようにだけ
物事をとらえてしまう、自分にとって都合の悪いものや邪魔なものは、
簡単にリセットしようとする。。。


そんなのが増えてきちゃっているのでしょうか?


んー。。。しかし書き出すと、どんどん脈絡がなくなってくるなぁ。。。
しゃべり手なのに、困ったもんだ(苦笑)


でも、とにかく今夜はこの話題を避けたくなかった気がしたので、思うまま書きました。
みんなはどう思っているのかなあ。。


とりあえずお風呂はいって頭冷やしてこよう。



Posted by ケイミー at 21:50│Comments(10)
この記事へのコメント
むつかしい問題だけに、簡単にはコメントしにくいですね…銃や暴力は当然ダメですし罰せられるべきですから…日本では拳銃を所持出来ないはずなのに金さえあれば入手できるというのも問題ですし…
俺も風呂入って頭冷やしてこよ↓
Posted by はるねパパ at 2007年04月18日 22:05
私も五輪観戦というのを行くことでその問題を感じます。欧州とアメリカと日本では銃火器の置かれた立場はそれぞれ違う様です。

5年前のソルトレイクシティ五輪(ユタ州)は史上最大規模のセキュリティ体制が敷かれました。そう、同時多発テロから半年経たない状態で戒厳令下の五輪でした。

関西空港、サンフランシスコ、ソルトレイクシティでのそれぞれの厳しい警備は各方面から批判の対象になっていましたがそれでもあの国のスタイルを示す様に網が張られていました。

特に中東や私たちアジア系はかなりの時間が割かれました。「自由は自分で守り勝ち取る」というスタイルが浸透し切ったアメリカにおいて銃は間違いなく「護身用」に他なりませんでした。

ユタ州はアメリカの中でも特に法律が厳しい州でして銃は勿論、アルコールを飲む習慣が無い(モルモン教の総本山の為)中でしたので楽だったのですがそれでもサンフランシスコ空港やスピードスケート会場、スキージャンプ会場で自動小銃を肩から下げたアーミーやネイビーらに囲まれて金属検査を何回も通された時に背中に流れた冷や汗が忘れられません。

今回の事件で個人的な感想ですが、アメリカは「身分差別と銃社会の縮図」・・・。長崎は「利敵か怨恨」という図式に見えてならないのです。日本は物騒になっているとは言えまだ一般住宅地に銃を持ち込むというケースが殆どないのでまだマシだと思いたいのです。

怨恨は何も生まないというケースを幾らも見て来ただけにその根っこを解決するしかないというのが実感です。沢山の時間を掛けて・・・。
Posted by wm2011oslo at 2007年04月18日 22:26
京都精華大学の学生さんの事件、イギリス人女性英会話講師の事件も
まだ、未解決ですよね(-_-)
イギリス人女性のお父様の「日本は安全な国だと確信したから、娘を安心
して日本へ送り出した」との言葉・・・。
日本人として、グサッと胸に突き刺さります(-_-)
お隣の京都でも解せない殺人事件が起こっている・・・他山の石というわけ
にはいかないですね。考えさせられます・・・。
Posted by ダブルスープ at 2007年04月18日 23:24
はるねパパさん
コメントありがとう!ひとつだけ確実なのは、銃や暴力で解決(この言葉は正しくないんだけど)しようとするのって、ぜったい間違ってますよね。このことだけでも、みんなが、そして子どもたちが、感じてくれたらいいなぁと思います。
Posted by ケイミー at 2007年04月19日 00:04
wmoslo2011さん
おっしゃるように、かの国は(自由平等の国と言われていますが)、実際のところ、根っこにはいろいろ深刻な問題を抱えているんですよ。。。既に加害者の母国をはじめとするアジア系留学生へのそれまでとは違った接し方が出始めているみたいです、でも、今回のことは個人の資質が原因であることを切に願っています。。
Posted by ケイミー at 2007年04月19日 00:09
ダブルスープさん
そうでしたね。あの事件でもしばし前出の人たちと話ました。私たち日本人にとってもグサっときたけど、美しきよき伝統的な日本文化のシンボルともいえる京都で起こっただけに、日本にあこがれ京都にあこがれて、ここで暮らし仕事をしている彼・彼女たちにとっても、ショックは大きかったようです。
Posted by ケイミー at 2007年04月19日 00:15
本当にいろいろ考えさせられます。
子供の学校のネェイティブ(米国)の先生も泣いておられたようです。
「こんな悲しい事が二度とおこらないようお祈りしてね。」
とおっしゃっていたそうです。
難しいことは判らなくても子供の気持ちに訴える言葉だと思いました。
Posted by てるにゃん at 2007年04月19日 00:29
てるにゃんさん
ああ、いいですね、その言葉!しちゃいけないことは、しちゃいけないと言う、悲しいことが起こったときには悲しいと思う、そして二度と繰り返さないように願う。心からそう感じることを、忘れたくないと思います。
Posted by ケイミー at 2007年04月19日 01:11
事件は起きてから全てを調べて、みんなのほとぼりが冷めたころ裁判で結果が!
てのがおおくないですか?

ちょっと、そちらの世界にも身を置いていた団長としては、マスコミの情報と警察の情報のくい違いや、マスコミ情報に左右される民衆心理をうまく使った報道に憤りを感じなくはないですね。

報道者も、主観を述べても事実は見逃さない報道や、視聴率目当ての報道になりすぎないように、多少なりとも意識がほしい団長です。

いろんな痛ましい事件が起きますが、ケイミーさんは明るく優しい笑顔で幸せを呼びかけてくださいね。
Posted by 団長 at 2007年04月19日 01:34
団長さん

メディアのはしくれに関わるものとして、貴重なご意見を真摯に受け止めたいと思います。何かを知るには、他人のめがねを通して得た情報しかないのが現実。ニュースといえども、事件や事故の、どの部分をどう切り取って流すか、どうコメントを入れるか、ということは、その番組を作っている側の目線で取捨選択されます。ですから、本当に真実を知るためには、自分の目や耳で確かめるしかないわけですが、でもそれは現実には不可能に近い。なので、報道する側の、正確性はもちろん客観性や中立性についての自覚は必須です。それとともに、ニュースを受け止める側つまり視聴者側も、報道をうのみにしない姿勢が必要ですね。難しい問題ですけどね。

みなさん、難しい問題にもかかわらずコメントどうもありがとう!私もひさびさに熱く語らせてもらいました。
さあ、では気持ちを切り換えて明るく楽しく放送がんばります!
Posted by ケイミー at 2007年04月19日 11:02
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